解説資料 11/23 Presentation 戦前戦後の日本映画におけるJazzとJazz Dance

講演会 解説 参考資料
「戦前戦後の日本映画におけるJazz と Jazz Dance」

講師:瀬川昌久(ジャズ評論家、95歳)
主催:Tokyo Swing Dance Society

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Presentation:
“Jazz and Jazz Dance in Japanese Movies before and after the Great East Asia War”
By Masahisa Segawa, Jazz Critic. 95 years old.
Produced by Hiro Yamada, Tokyo Swing Dance Society

大東亜戦争(1941-45)の前後、1930-50年代の日本映画における Jazz と Jazz Dance について当時の貴重な映像と音源に触れ、この分野の発掘と研究、著作にかけて日本の第一人者の瀬川昌久先生(95)の解説で理解を深める、大変貴重な機会です。

第1部:First set

「舗道の囁き (1936)」feat. 中川三郎、ベティ稲田、コロンビア・ジャズ・オーケストラ
「笑ふ地球に朝が来る (1940)」 feat. 飯山重雄とタムタムスヰング楽団
「今日は踊って(1947)」 feat. 長谷川一夫

第2部:Second set

「唄くらべ青春三銃士(1952)」 feat. ナカガワツルーパーズ、鶴田浩二
「千万長者の恋人より踊る摩天楼(1956)」 feat. 越路吹雪、中川音楽一家
「歌う不夜城 (1957) 」feat. 江利チエミ、雪村いづみ、越路吹雪、日劇ダンシングチーム

舗道の囁き (1936)

01:05:35 – 01:08:21ダンスホールでのジャズバンド演奏
01:09:48 – 01:13:28 
01:14:25 – Ending

演出・主演:鈴木傳明(伝明)(*1)
製作・監督:加賀四郎 (*2)

中川三郎 (*3)
ベティ稲田 (*4)
主題歌「歩道の囁き」の作編曲:服部良一 (*5)
演奏:コロンビア・ジャズ・オーケストラ (*6)
録音:ニッタトーキー(新田式録音システム)
フィルム:純国産富士フィルム

1936年に配給する予定が、加賀四郎が所属していた映画会社からの独立問題の影響から、全国映画館での上映の目処が立たず、お蔵入りになる(*7)。

戦後、GHQは戦前戦中の日本の書籍や映画の焚書・禁書・没収・検閲など、厳しい言論弾圧を広範に実施した(*8)。その過程で米国に都合の悪い資料のみならず、時局に無関係な貴重な書籍や映画が、没収実務に当たった米軍関係者により勝手に私物化され米国に持ち去られる略奪行為が横行した。本作品がその被害品かどうか今となっては経緯が不明だが、1991年、UCLA(カリフォルニア大学LA校)で発見され、フィルムが日本に戻り、祖国で始めて日の目をみた歴史的な映画作品。

2012年11月、DVD復刻版の発売記念パーティが中川三郎の長女弘子や加賀四郎の子息の祥夫、瀬川昌久らをゲストに銀座十字屋で開催された(*9)。

(*1) 保留

(*2) 加賀まりこ(1943年生まれ。女優)は加賀四郎の娘。

(*3) 中川三郎関連の参考文献・資料

*3-1)「踊らんかな!人生 」中川三郎、学習研究社、1964
*3-2)「ダンス元年 日本ダンス百十三年全史」中川三郎、劇場コーパ、1977
*3-3)「ダンシングオールライフ 中川三郎物語」乗越たかお、集英社、1996
*3-4)「中川三郎ダンスの軌跡」乗越たかお、健友館、1999
(*3-3 と *3-4 は記述の明かな間違いや正確性に疑問が残る部分が少なからずあり、他のリソースとの照合が必要と思われる)
*3-5)「リズミーハーツ タップの父・中川三郎から受け取ったもの 中川裕季子の生き方」山田麗華、集英社、1917
その他、別項「唄くらべ青春三銃士(1952)」の*50) も参照。

(*4) ベティ稲田関連の参考文献

(*5) 服部良一関連の参考文献

「僕の音楽人生 エピソードでつづる和製音楽ジャズ・ソング史」服部良一、中央文芸社、1982

(*6) 保留

(*7) 上映について

文献(*3-3) の p.238 によると、加賀四郎の兄がベルリンオリンピックのコーチとして渡欧した時に欧州で映画を封切った、との記述と、終戦後の1946年に「思い出の東京」と改題し松竹が公開したとの記述もあるが、ともに真偽不明。(*1) のWiKi情報では、兄の加賀一郎はアントワープオリンピックで100mと200mに出場しており、ベルリンオリンピックにも役員として選手団に同行、もう一人の兄・加賀二郎は松竹株式会社の元常務と記載されている。

加賀まりこ本人による本映画のDVDのライナーノーツによると、「時の松竹蒲田撮影所の3大スター 鈴木伝明・岡田時彦・高田稔を引き抜き作られた本作品は、松竹により配給をすべてストップされ、当時国内で一度も上映されることはありませんでした。」とある。つまり、当時全国の映画館への配給網を支配下に抑えていた大企業、松竹の経営陣の怒りを買い、上映に成功しなかったと考えられる。ただし彼女とて映画完成時はまだ生まれておらず、後の1943年に生誕している。そのためか、そのライナーノーツには上映されなかったもう一つの理由として大東亜戦争前乃至中の敵性音楽排除の時局のせいとも書かれているが、これは説得力が弱い。なぜならば次に取り上げる日米開戦一年前に封切られた「笑ふ地球に朝が来る (1940)」には、「敵性音楽」が堂々と取り上げられているからだ。ただし、加賀四郎と松竹とのビジネス上の確執がどこまで続いたのかわからないが、それが年数と共にある程度収斂したところで再度上映しようとしたところ、今度は時局上、上映できる環境に無かった、というストーリーの可能性はあるかもしれない。大東亜戦争に突入後は、本映画に限らず、「敵性音楽」の入った映画の上映は相当制限があったと思われる。

(*8) 参考文献

「閉ざされた言論空間 占領軍の検閲と戦後日本」江藤淳、文藝春秋、1989
「GHQ焚書図書開封」1巻〜、西尾幹二、徳間書店、徳間文庫カレッジ、2008-
「一目でわかる GHQの日本人洗脳計画 の真実」水間政憲、PHP、2015

(*9) DVD発売イベント関連リンク

参加者のブログ 
メディア

(*10) その他関連資料

東京日刊キネマ 1936年(昭和11年)5月14日 本映画の宣伝記事が掲載との情報(*3-3 p.237)
当時の「キネマ旬報」「演芸日報」にも記事が掲載との情報(同上)

フレッド・アステア Fred Astair

(*11) 主題歌

A面「舗道の囁き(トロット)」、B面「心で泣いて(ブルース)」

Opening title
映画のオープニングとメインソング「舗道の囁き」

参考
Flying Down to Rio 1933 Carioca
空中レヴュー時代
Fred Astaire and Ginger Rogers

参考
The Gay Divorcee, 1934 Night and Day
コンチネンタル
Fred Astaire and Ginger Rogers

笑ふ地球に朝が来る (1940)

00:00-10:00 ジャズバンド演奏 St. Louise Blues (in Japanese)

監督:津田不二夫
音楽:杉井幸一
演奏:飯山重雄(dr)とタムタムスヰング楽団
歌:清水悦子

冒頭、青空ひろし一行の田舎の小劇場出演の目玉として、飯島茂雄楽団扮する「ニグロバンド」が顔を黒く塗って「St. Louis Blues」を激しく演奏し、清水虹子が歌う。その後、梅田龍子が日本民謡のスヰング演奏で踊る。高瀬実乗(ミノルジョウ)が売り物の小唄勝太郎の唄真似を行う。

今日は踊って(1947)

00:07:50 社交ダンスホールでのダンスシーン
00:11:47 同上
00:29:54 タンゴデモシーン
00:31:40 ソーシャルシーン
00:40:10 ジャズ、uptempo swing、ソーシャルシーン
01:11:03 さくら音頭

新東宝映画 第1回作品
製作:青柳信雄

戦後すぐの1947年の作品。映倫はまだ設立されておらず、オープニングには何も記されていないが、おそらくGHQが直に検閲したのではないかと想像される。

feat. 長谷川一夫

唄くらべ青春三銃士(1952)

00:09:57 キャバレーダンスシーン 鶴田浩二 ブルース
00:11:38 ナカガワツルーパーズ
00:40:40 キャバレーダンスシーン(小唄)
00:50:30 キャバレーダンスシーン鶴田浩二 ブルース

feat. ナカガワツルーパーズ(*50)、鶴田浩二(*51)

(*50) Nakagawa Troupers

中川(またはナカガワ)ツルーパーズ(またはトゥルーパーズ)、または中川一家、中川音楽一家、中川芸能一家、中川一座とも記される。1948年結成、1956年解散。フルメンバーのリストは以下。

中川三郎(父 32歳 タップダンス)
マリー・イヴォンヌ(本名は上村まり子 ヴォーカル)
弘子(長女 11歳 ピアノ)
一郎(長男 10歳 アコーディオン)
姿子(しなこ 次女 8歳 マリンバ)
元子(ゆきこ 裕季子とも表記 3歳 ドラムス)

理由はわからないが、「唄くらべ青春三銃士」のオープニングのクレジットに中川家の名前は誰も出てこない。出演は子供の四人だけで、キャバレーでの演奏シーンのバックには「ナカガワ・ツルーパーズ」という看板が出ている。元子のソロダンスシーンもある。

中川三郎

1916年大阪生まれ。1929年(13歳)、神戸でタップダンスを習う。1930(14歳)、東京で(?)ダンスホールに出入りし、日本のタンゴの父と言われる目賀田男爵に会っている。1932年(16歳)、当時の東京のエンターテインメントの中心地であった浅草に通い、日本初のタップダンススタジオのジョージ堀タップダンススタジオに入門、水戸巡業で初舞台を踏む。1933年、慶應大学経済学部に入学。大阪の実家が破産状態に。ダンスホールのフロリダで米国人(?)ミッジ・ウィリアムスのタップダンスに衝撃を受ける。1934年渡米、NY市立大学に入学したが貧困と格闘。1935年2月に母死去も、三郎の留学を続けさせるため父は三郎にあえて知らせず。NYCのブロードウェイミュージカル Life Begins At 8:40 にソロで出演で大成功を納め1936年帰朝、上村まり子と結婚、吉本興業に入り看板スターになり、映画「舗道の囁き」に出演。日本の舞台人&タップダンサーの頂点にのぼり詰めた。

戦後、1945年秋に二子玉川で進駐軍相手のジャズライブ&ダンスホール、セブンマイルハウスを開業、そこでリンディホップ(8カウント)、チャールストン、6カウントスウィング(Jitterbug、これをジルバの命名したのは三郎)を目の当たりにする。ここを起点に、当時の日本人には比較的覚えやすかったジルバを、全国展開した中川三郎ダンススクールなどを通して大流行させた。また、三郎とともに中川ツルーパーズとして日本各地の進駐軍のキャンプを、音楽とタップダンスショーのツアーでまわる。クリスマス時期には1日に13ヶ所ものキャンプ公演すらあった。

2000年、Frankie Mannig Millennium Bash in Tokyo にて、Frankie Manning と対談。
2003年、87歳で永眠。墓地は谷中霊園。

弘子は子供達の中で最初に映画界に進出。文献(*3-4 pp.35-36)には以下のように記されている。

「弥次喜多ブギウギ道中(1950)」共演 榎本健一、古川ロッパ
「あの丘超えて(1951)」共演 美空ひばり
「遠い雲(1955)」
「ママ横を向いて(1956)」中村メイコ 初主演映画
「ここは静かなり(1956)」
「いとしい恋人たち(1957)」
「踊る摩天楼(1957)」など30本以上の映画に出演。
1958年、脚本家 白坂依志夫と結婚し、芸能界を引退。

姿子が映画界に続き、一郎はバンドの道を歩んだ。

元子(裕季子 Yukiko)

故中川三郎の三女。1945年生まれ。本名は元子と書き「ゆきこ」と読む。三歳で日劇初舞台。三郎とともに中川ツルーパーズとして日本各地の進駐軍のキャンプを、音楽とタップダンスショーのツアーでまわる。クリスマス時期には1日に13ヶ所ものキャンプ公演すらあった。1962年、東宝映画「六本木心中」で女優デビュー。恵比寿に日本初のディスコを開業。1970年代のジャズダンスブームでは1週間に2千人を超える生徒を指導していた。

参考 映倫について

本作品は1952年の制作であるが、それ以前のオープニングにはついていなかった映倫(旧映倫、映画倫理規程管理委員会 1949設立)の証が入っている。戦後、GHQは日本での言論や表現の自由を徹底的に検閲し弾圧したが、その手段は姑息で、アメリカ人が悪行に直接手を下すのではなく、表面上は日本人自身にその手続きをさせるよう圧力をかけたり、アメリカに買収された日本人スパイを組織上層部に送り込むという手法であった。これは日本国憲法をアメリカ人が書き、しかし日本人自身が書いたように見せかける工作をしたのと同じ手法。本作品には政治的な内容が含まれていないが、日本の映画界のターニングポイントの一つは戦後のGHQの言論弾圧と日本人による映倫設立と言えるかもしれない。参考リンク

1956年に設立された「新」映倫(映画倫理管理委員会)は、 Wiki によると、同年に若者の享楽的な風俗を描いた石原慎太郎原作の映画『太陽の季節』が公開された際、未成年者の観覧が各地の条例によって禁止され社会問題となった事に起因すると記されている。2009年に「映画倫理委員会」と名称変更がなされ、その内部機構も変化している。

千万長者の恋人より踊る摩天楼(1956)

00:00:00 – 00:04:45 オープニング、女性三人組 歌とダンス
00:17:20 – 00:23:45 越路吹雪 歌とダンス
00:50:40 – 00:53:50 中川音楽一家演奏&中川三郎タップダンスシーン
01:02:17 6ct swing
ミュージカルなので和物も含めてダンスと歌のシーンは他にもある。

越路吹雪
中川音楽一家

中川三郎が長男一郎と長女弘子(?)と共にタップダンスを踊るシーンが圧巻。この時、三郎が40歳前後で、ダンサーとして脂が乗り切っていた時代の貴重な映像。

歌う不夜城 (1957)

00:03:10 越路吹雪 フラメンコ マラゲーニャ
00:11:30 日劇ダンシングチーム Swing
00:17:50 江利チエミ マンボ
00:20:28 ドライブシーン、カーチェイス
00:25:30 雪村いづみ バラード
00:30:20 久保明(?) バラード
00:38:10 江利チエミ チャチャチャ、Swing、マンボ
01:04:30 江利チエミ グレンドーラ Glendora
01:09:30 雪村いづみ 支那
01:20:25 男性バンド 16 tones
01:22:50 雪村いづみ&江利チエミ swing
01:26:35 宝田明(?) 、江利チエミ、雪村いづみ、越路吹雪 タップ、swing、ルンバ、レビュー

東宝

江利チエミ
雪村いづみ
越路吹雪
日劇ダンシングチーム

1956年、江利チエミ、グレンドーラ、78回転LP 蓄音器版

1963年、江利チエミは Count Basie から Count Basie Orchestra の東京公演に招かれ、同楽団と共演している。

参考
Chronology of the Lindy Hop in Japan and related world history
日本のリンディホップの大まかな歴史と関連する世界史

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